オスマン帝国時代の絨毯2

トップ画像はMoche TABIBNIAの16-17世紀の絨毯コレクション。

イベントでPalazzo  Marino(これまた16世紀建築)に20枚ディスプレイされた時の物だそうです。

美しいですね。将来こういうイベントに参加出来たらいいですけど。

(スマホではトップ画像は表示されない様ですのでPCでどうぞ♪)

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昨日のチャプターの題名に誤りがありました。

訂正してお詫びします。

誤『オスマン宮廷スタイルの形成 1451-1512年』

正『初期のトレンド 1299-1451年』

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今日こそは『オスマン宮廷スタイルの形成 1451-1512年』チャプターにおける絨毯について。

 

この時代は偉大なスルタンメフメットII世の時代。1453年にビザンツ帝国からコンスタンチノープルを奪い、世界中にその勢力をみせつけました。この本は、この当時のことも要所を押さえて纏めてありますので、歴史好きな方にも魅力的です。

 

絨毯については、この時期に海外輸出も大量に行われており、海外の画家の絵でその絨毯を確認する事が出来ます。有名なのがHolbein絨毯、Lotto絨毯、 Bellini絨毯。

 

Hans Holbein(1497-1543)の絵に見られる主に八角形の連続モチーフがHolbein絨毯と呼ばれる絨毯。

1024px-hans_holbein_the_younger_-_the_ambassadors_-_google_art_project

1533年『(2人の)大使』

1280px-the_somerset_house_conference_19_august_1604

 こちらは作者不明

このHolbin絨毯ですが、1451年には既にイタリアの画家Piero della FrancescaがリミニにあるSan Francesco教会のフレスコ画に描いていたようです(わかりにくいですが、、、)。

ピクチャ 48

 

 

次にLotto絨毯。

イタリア(ヴェネチア共和国)の画家Lorenzo Lotto(1480-1557)の絵にみられる、主に黄色い連続パターンモチーフの絨毯。

ピクチャ 50

ピクチャ 52

ピクチャ 53

 

トルコでこの柄の絨毯を探される方は『Lotto絨毯』と言うよりも『ウシャク絨毯』と言われるか、直接お写真をお見せになった方が良いと思いますので、ご参考まで。

 

 

おつぎはBellimi絨毯

Gentile Bellini (1429 – 1507)とGiovanni Bellini (1430-1516)というイタリア(ヴェネチア)兄弟の絵に描かれている大きな鍵穴のようなデザインのプレイヤーラグがこう呼ばれている様です。

 

ピクチャ 56

 

こちらはGentileの作品。彼はヴェネチア共和国のドージェ肖像画描きだった様です。

 

ピクチャ 55

 

こちら↑の画像はまたMETから拝借。鍵穴、なるほど。

 

 

これら3種の絨毯は、ウシャク、ベルガマそしておそらくコンヤを産地として海外に多数輸出されていたそうですが、生産期間も長かったので、他の都市でも織られていた可能性も否定出来ない様です。

 

※この時期のCrivelli絨毯 とMemling絨毯についてはOttoman Decoretive Artsでは述べられていません。

 

 

それから、このチャプターの時期に出て来たのがウシャクのスターウシャクとメダリオンウシャク。

順にMETの画像よりどうぞ。

ピクチャ 57

hb_1984.69

ピクチャ 58

 

これほど迫力のある絨毯のデザインというのは後にも先にもウシャクメダリオンだけでしょうね〜。

 

この時代、中央アジアから招聘された宮廷デザイナーBaba Nakkasがこの時代のオスマン帝国の美術品のデザインを作り上げていたそうですが、このウシャクメダリオンもそのひとつ、Ciltジルトという表装のデザインを元にしているそうです。

こちら↓がジルト。イスタンブールの職業訓練校ではCiltを習う事が出来ます。アンカラは残念ながら….。

319397

 

 

このウシャクスターとウシャクメダリオンは7mにもおよぶかなり大きなサイズで織られていたのですが、それは、スルタンメフメッII世がオスマン帝国の首都をブルサからイスタンブールに移すに伴っています。新しく首都と定めたイスタンブールにはトプカプ宮殿をはじめ様々な建物を建築させたメフメットII世ですが、その巨大な建物のフロアを埋めるには相当な数の絨毯が必要でした。それに伴い、宮廷内に絨毯工房も構えた様です。

 

 

ウシャク絨毯が初めて絵画に登場するのが1534年のParis GordoneによるLa consegna dell’anello al Doge。ドージェの足下にスターウシャクがみられます(この絵が描かれたのは1530年ですが、描かれているのはドージェ Bartolomeo Gradenigoで1430年の伝説が舞台です)。

ピクチャ 59

 

 

 

次回は16世紀中頃のオスマン帝国絨毯についてです。

 

最後までお読み頂き本当にありがとうございました。

私はまだまだ未熟ですので、内容について『おかしい』という点等ございましたら是非コメント欄より

ご指摘下さい。また、絨毯や地中海歴史等にご興味のある方とのコメントのやりとりなどももっと活発に

させて頂けたらと思っております♪ 宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

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オスマン帝国時代の絨毯2」への2件のフィードバック

  1. こんばんは、Fumiyoさん。
    絵画の中にこんなにトルコ絨毯が描かれているとは
    面白いですね。
    洋画の中に描かれたイズニクタイル画って言うのもあるのかしら?

    アンカラにはジルトのコースはありませんか?
    残念ですね。

    いいね

    1. こんばんは〜♪
      最近時間がなくてZeytinさんのブログにコメント出来ていなくてごめんなさい。ヤズマの旅、羨ましいですわ〜。

      中世のオリエント貿易の目玉のひとつがスパイスと絨毯だったみたいなんですよね。絵に描いてもらえる様な地位の人の屋敷に絨毯がないというところはなかった様ですから、こうやって絵にも出て来たみたいです。

      イズニックタイル、探してみるとあるかもしれませんが、タイルよりも花瓶等の方が見つかり易いかもしれませんね。

      アンカラのbelmekにはジルトもミニアチュールもヤズマもハットもカートもないのです、、、。いけないですね〜。

      いいね

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