a piece of art….レイハンルキリム

 

 

 

Lavinia Meijerでも聞きながら、ずっと眺めていたいそんな素敵なキリムをご覧下さい♪

IMG_2911_Fotor

 

 

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美術品と呼んでいいですよね〜。

 

どちらも本当に綺麗なレイハンルです。

オンラインショップに詳細写真掲載していますので、宜しければご覧下さい。

http://www.anatolianconceptshop.com/?mode=cate&cbid=1248860&csid=0&sort=n

 

レイハンルキリムというと、年配の絨毯屋さん方や親子3代にわたる絨毯屋さんたちはハレップキリムと呼ぶのはトルコの絨毯屋さんを廻っていらっしゃる方ならご存知ですよね^^

 

ハレップHalepはアレッポAleppoの事なのですが、現在のシリア領のアレッポをさすのではなく、オスマン帝国時代のハレップ県Halep vilâyetiをさします。

 

Viyâletiはオスマン語なのですが、日本語で県と訳すか州と訳すか、とりあえず県としましたが、違っていたらごめんなさい。専門の方がもしお読みでしたらご教示おねがいします!!

 

 

当時のハレップ県はとても大きくて、その中には現在のトルコのウルファ県、マラシュ県、そして1869年まではアダナも含まれていました。

 

こちらは当時のハレップの地図です。因にオスマン語はトルコ人は3ヶ月くらいで習得出来ると聞いているのですが、えかーなーり、難しいです。でも、これがわからないとトルコのどんな歴史も詳しく読み解けないんですよね〜。トルコって共和国になって(=アルファベットになって)まだ91年ですからそれより前の事はオスマン語の資料が多いのです。

934px-Aleppo1907

 

こちらは1895年の地図ですが、今と比べてとーーーってもアバウト。

Osmanl_Anadolusu

 

 

さて、このレイハンルですが、13の部族から構成され、約3000ものテントを持っていたそうです。ひとつのテントには2〜15人が住み、武力としては2-3000の騎馬兵と2-3000の歩兵を構成出来る規模だったそうです。のんびり〜を想像してしまいそうな『遊牧民』という響きですが、”娘の誘拐”か”家畜のえさ場”を火種とした他の部族との争いが時々あったのそうです。

 

 

生活スタイルは、冬は平野、特にアミック平野Amik Ovasiで過ごし、夏はキリスKilis、アザスAzas、Sivas シワスあたりを遊牧していたそうですよ。ハレップ県とシワス県、当時はとなりなんですよね。

 

当時のアダナの絵はがき♡

b-3

 

それから、よく、レイハンルのキリムは商用に織られた等聞きますが、全くのうわさではなく、織ったキリムをハレップ県の中心地ハレップ(アレッポ)の市場で売り、そのお金で生活や遊牧に必要なものを購入していたそうです。でも、これはレイハンルに限らずきっと多くの半遊牧半定住の人が行なっていた可能性もなきにしもあらず、ですよね。このアレッポの市場、当時は中東でもそれはそれは大きな市場だった様で、存在的には今のブルサとイスタンブール等を合わせた様なところだったのだそうです。ガジアンテプを旅行して以来、この地の過去に想像を膨らませてばかりです^^

 

また、豪商等の運搬業も担っていたそうで、イスケンデルン(現在ハタイ県)からハレップまでラクダで運搬業をやっていた様です。

 

レイハンルについてはなかなか興味をひかれる事がいろいろあるんですよ。夫も私も時間を忘れていろいろ読みふけっています。

 

 

素敵な週末をお過ごし下さい♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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