犠牲祭前夜の鳴き声

昨日23日は犠牲祭前夜ということで当地の公務員関係はお休みでした。24日からは犠牲祭に入り週末までの連休となります。

 

毎年犠牲祭ではトルコ国内で飼育されている動物だけでなく、かなりたくさんの動物が他国から生きたまま船やトラックで過酷な環境のなか輸送されてくるという悲しい現実もあります。こんなにも日々お肉を食べている人々が犠牲祭ということで一斉に生贄を捧げるので動物が足りないのと、海外から輸入した方が安いという理由の様です。

 

犠牲になる動物は神に捧げられ、お肉は恵まれない人々に配られるというのが本来のこの行事だったわけですが、最近のトルコはトルコ人達ですらうんざりする様な「うちは金があるから生贄を切るんだ。」といった自慢をしあう雰囲気で、貧しい人々に配り分けるというのとは遠いところにある様です。全部が全部というわけではありませんが。。。以前は切り分けたお肉を配り分けたのに今は皆自分の家庭の冷凍庫に保管して家族内で消費。犠牲祭前はナイフやノコギリのチラシとともに冷凍庫のCMも増えます。

 

っとなんだかとってもシビアな現実を書きましたが、私の夫の家族は「かわいそう。」ということもあり犠牲はありません。前回のBBQで一頭羊を犠牲に捧げているのでこの小さな家族では来年までお肉は十二分にありますし^^しかもあの犠牲もこの家族にとって初めてのことだったんですよ。

 

しかし、犠牲は捧げないものの、犠牲祭前日の断食はとても重要ということで義母と夫が断食をしていたので、断食明けの食事を義母夫婦宅でとりました。

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豆のスープにピラフに上のジャジクという冷静スープとサラダというあっさりながら美味しいお食事で満腹。

 

夕食を終えた頃、なにやら雄叫びの様な声が外から聞こえてきたのですが、それは明日ご近所で犠牲に上がる牛の鳴き声でした。聞いたことのない様な苦しく悲しい鳴き声は私たちみんなだけでなく近所の人たちもきっとその牛の運命をかわいそうに思ったことと思います(そう願います)。

 

義母夫妻の家は住宅街ですが、アパートの裏の駐車場で犠牲を捧げる人たちもいます。本当は街の中で犠牲を切ることは禁止ですが、無教育な人たちはそんなこと気にしないのです。

 

私たちは「お金があったならこの牛を買い取って助けてあげられるのに。」「でも救ったところで持ち主は絶対そのお金でまたもう一頭牛を買うんだろうね。」という切ない会話をしながら夕食をおひらきにしました。

 

 

今夜はその牛の鳴き声が耳から離れないですし、明日は私は全く外出する気がしないのですが、義祖母宅に行かないといけないので憂鬱です。義祖母宅に行くのが憂鬱なのではなくて、その路程でいろいろ見てしまうからです。

 

 

先進国は地球温暖化やそのほか様々な問題が肉類の過剰生産過剰消費であることに気づいてそれをリデュースする動きにありますが、中東はその逆に向かっている様な気がします。。。

 

世界中のお肉になる動物達の痛みや苦しみそして恐怖が少しでも軽減されますように。

 

 

 

 

 

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