a piece of art….レイハンルキリム

 

 

 

Lavinia Meijerでも聞きながら、ずっと眺めていたいそんな素敵なキリムをご覧下さい♪

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美術品と呼んでいいですよね〜。

 

どちらも本当に綺麗なレイハンルです。

オンラインショップに詳細写真掲載していますので、宜しければご覧下さい。

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レイハンルキリムというと、年配の絨毯屋さん方や親子3代にわたる絨毯屋さんたちはハレップキリムと呼ぶのはトルコの絨毯屋さんを廻っていらっしゃる方ならご存知ですよね^^

 

ハレップHalepはアレッポAleppoの事なのですが、現在のシリア領のアレッポをさすのではなく、オスマン帝国時代のハレップ県Halep vilâyetiをさします。

 

Viyâletiはオスマン語なのですが、日本語で県と訳すか州と訳すか、とりあえず県としましたが、違っていたらごめんなさい。専門の方がもしお読みでしたらご教示おねがいします!!

 

 

当時のハレップ県はとても大きくて、その中には現在のトルコのウルファ県、マラシュ県、そして1869年まではアダナも含まれていました。

 

こちらは当時のハレップの地図です。因にオスマン語はトルコ人は3ヶ月くらいで習得出来ると聞いているのですが、えかーなーり、難しいです。でも、これがわからないとトルコのどんな歴史も詳しく読み解けないんですよね〜。トルコって共和国になって(=アルファベットになって)まだ91年ですからそれより前の事はオスマン語の資料が多いのです。

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こちらは1895年の地図ですが、今と比べてとーーーってもアバウト。

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さて、このレイハンルですが、13の部族から構成され、約3000ものテントを持っていたそうです。ひとつのテントには2〜15人が住み、武力としては2-3000の騎馬兵と2-3000の歩兵を構成出来る規模だったそうです。のんびり〜を想像してしまいそうな『遊牧民』という響きですが、”娘の誘拐”か”家畜のえさ場”を火種とした他の部族との争いが時々あったのそうです。

 

 

生活スタイルは、冬は平野、特にアミック平野Amik Ovasiで過ごし、夏はキリスKilis、アザスAzas、Sivas シワスあたりを遊牧していたそうですよ。ハレップ県とシワス県、当時はとなりなんですよね。

 

当時のアダナの絵はがき♡

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それから、よく、レイハンルのキリムは商用に織られた等聞きますが、全くのうわさではなく、織ったキリムをハレップ県の中心地ハレップ(アレッポ)の市場で売り、そのお金で生活や遊牧に必要なものを購入していたそうです。でも、これはレイハンルに限らずきっと多くの半遊牧半定住の人が行なっていた可能性もなきにしもあらず、ですよね。このアレッポの市場、当時は中東でもそれはそれは大きな市場だった様で、存在的には今のブルサとイスタンブール等を合わせた様なところだったのだそうです。ガジアンテプを旅行して以来、この地の過去に想像を膨らませてばかりです^^

 

また、豪商等の運搬業も担っていたそうで、イスケンデルン(現在ハタイ県)からハレップまでラクダで運搬業をやっていた様です。

 

レイハンルについてはなかなか興味をひかれる事がいろいろあるんですよ。夫も私も時間を忘れていろいろ読みふけっています。

 

 

素敵な週末をお過ごし下さい♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トルコ伝統フェルト【ケチェ】座布団

可愛いハンドメイド【ケチェ】の座布団、オンラインショップに追加していますので宜しければご覧下さい。

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とってもかわいいですよね〜!!!

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サイズはちょうど椅子に敷いて頂ける約40x40cmです。
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厚みはこんなにたっぷり。ぎっしりと羊毛が450gも使われています。

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【ケチェ】という単語でトルコのテキスタイル文化として文献でみられるのは11世紀頃だそうですが、フェルトはアナトリア(現在のアジア側トルコ)の土地でとても古い歴史を有しているそうです。

ボアズキョイとハットゥシャにあるヤズルカヤ(チョルム☆)にある彫刻はヒッタイト時代のものですが、その彫刻で見られる衣装がどうもフェルトだそうです。

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因にこのヒッタイト遺跡はアンカラから2時間半位のチョルムにあるんですよ♪ アンカラにはあんまり見るところはないですが、ゆっくりトルコを廻られる方には是非お勧めしたい広大な遺跡です。私は『天は赤い川のほとり』という漫画でロマンを膨らませてから行きました(笑)。

 

さて、中央アジアとアナトリアの遊牧民達の古いテキスタイル文化であったフェルトですが、その後セルチューク朝とオスマン帝国によってその文化の範囲を広めていった様です。

こちらはケペネックというのですが、長い月日を要する遊牧に欠かせない防寒具で現在でも遊牧中のシェパード達が着ているのを時々みることが出来ます。防寒、防水を兼ねており、山の中で羊や犬達と寝るのにピッタリのアナトリア流寝袋でもあります。

 

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因に今でこそフェルトを叩く機械がありますが、それまではずっとこうやって石鹸水を撒いた羊毛を複数人で巻き、足で押さえながら何十分も転がして作り上げていたそうです。

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こちらは現在シャンルウルファで伝統の方法でフェルトを作られている職人さんです。美しいですね☆

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みなさま良い一日を。
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トルコの穴場遺跡#1 EUROMOS

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パムッカレはワインでも有名で、カラハユットからブルダンへの道もブドウ畑がたくさん並んでおり、美しい風景がみられます。

今回通った時は丁度干しぶどうを作っているところを見る事が出来ました。

作業されている方々とお互い手を振って挨拶♪ トルコはこういうところが気さくで良いです。
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まだまだ干しぶどうとしては半乾燥といったところですが、ほんのりと発酵したお酒の様な風味と甘みの凝縮された実が病み付きになりそうな程美味しかったです。

この状態でブランデーケーキ作ったら美味しそうでした☆
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さて、デニズリ県を抜けてアイドゥン県に向かって国道525号線を走っていたところ、ミラスから少し行ったところにEUROMOSという茶色い看板を発見し、興味本位で訪問してみたところ、今後の発掘に期待したい素晴らしい穴場遺跡でした。

 

美しいゼウス神殿。

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20世紀になってやっと研究調査が始められた様ですが、政府認可の元で発掘が始まったのは2011年と最近のことで、これからの発掘物に期待したいとても規模の大きい遺跡の様です。

 

 

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望遠レンズ持っていっていなかったのが仇に〜。でもとっても綺麗な文字が残っていました。クリックして頂くと拡大写真でご覧頂けます。

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整理が追いつかない遺跡がゴーロゴロ。

 

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Aydin県に急がなければならなかったので、1km程上にあると言われている劇場跡までは行けませんでしたが、美しいオリーブ畑と綺麗な空気、そして数千年前の遺跡というロマン広がる組み合わせでリフレッシュできました。

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こちらがこのEuromos遺跡の全体図です。とーっても広いんですね。

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因に、一部私有地だそうです。羨ましいですね〜。

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トルコの大地は本当に遺跡でいっぱいです。ツアーでは時間がなくて廻れないと思いますので、時間の取れる方は是非ゆっくりトルコを廻ってみて下さいね。なお、治安上、お一人ではなく、複数人で廻られる事をお勧めします。

 

 

 

絨毯博物館に行ってきました1

こんにちは。

アンカラは昨日、今日やっと日中0度以上になり、洗濯物が外に干せました!!

 

さて、先月イスタンブールでの仕入れの際、梱包していただいている合間にニューオープンした絨毯博物館に行ってきました。

画像が重いので数回に分けて投稿させていただきたいと思います。

 

 

以前はイスタンブールでのアンティーク絨毯の展示は歴史的地区にあるイブラヒムパシャ宮殿(イスラム美術博物館)の中、及び、ブルーモスクに隣接する財団の絨毯博物館内であったのですが、施設、空調等も新たにアヤソフィアの後ろ側の歴史建造物がそれに充てられました。

HALI MÜZESİ
Cankurtaran Mah. Bab-ı Hümayun Cad. Soğukçeşme Sok. Fatih/ İstanbul

アヤソフィアのすぐ後ろです。

 

 

 

 

この門もとても綺麗♪

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こちらは門の内側。

金属探知機を通って博物館にGO!

因にアンカラのキリム絨毯博物館と同じく財団運営なので入場無料、写真撮影可(フラッシュ不可)です。

 

 

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こちら2枚は14−15世紀の東部アナトリア産の巨大絨毯(上は16平米)。
他のアンティーク絨毯同様シワス県のDivriモスクにあったものだそうです。ラインが凄く綺麗ですよね。今から500年以上前の絨毯を目の前にしてしばしボーッとしてしまいます。

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ちょっとわかりづらいですが、奥に見えるのはおなじみの絨毯売りの絵画です。それを財団側で役者を使って動画にし、当時の様子を少々リアルに表現しています。

因に、中は全てこの様に絨毯保護のために光が遮断されており、3つに分かれたブロックの出入り口もエアロック式の自動扉になっています。

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こちらも全てアナトリア産。14−16世紀。

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これすーっごく綺麗でしたよ〜。

15世紀の中央アナトリアの絨毯です。よくぞ外国に流れずにトルコに残っていてくれました!!

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お次はウシャク。何と言ってもこの中世の時代はウシャ〜ク。

左から鳥モチーフ、メダリオンそしてチンタマーニ。左端のチンタマーニ、いつか工房を持てたら復元してみたいですね。可愛いでしょう??

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真ん中のメダリオンの絨毯はメダリオンの周りが綺麗なチンタマーニで埋められているんです。

 
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来ました、ウシャクのスターラグ。以前ブログでご紹介させていただいた事がありましたが、これらがまさに連続モチーフのスターラグです。

 

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このパステル系の色使いもなかなかいいですね。

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画像が重くなってきたので、この辺で次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

オスマン帝国時代の絨毯3

 

トップ画像(携帯電話では表示されません)は16世紀後半の宮廷絨毯といえばコレ!という一枚。

 

 

 

先週に引き続きオスマン帝国時代の絨毯について、またこちら↓からご紹介させていただければと思います。

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■『宮廷ワークショップの発展と編成(1512-1566年)』のチャプター

 

 

このチャプターはかのスレイマン大帝の時代ですから、とても内容が濃いです。オスマン帝国最盛期ですから衣装や装飾品に金銀宝石が惜しみなく使用され、デザインにも変化が出てきます。そして、この本の絨毯の歴史紹介としてはこのチャプターが最後になります。

 

 

注目の事実は、16世紀中頃からは美しい曲線を描く為にセネノット(シングルノット)が使用される様になったというとです!!!!!! わー!!! どこかの美術館で実際に確かめてみたいところです。

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この頃になると前チャプターのウシャク絨毯の様なメダリオンと四隅のモチーフの絨毯は、その模様の間がサズスタイルのギザギザの葉とハタイの模様で埋められる様になり、また、同時にチューリップやヒヤシンス等の春の花も使用されている様です。

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この時期のオスマン帝国領土はこんなにも広く、絨毯はイスタンブールやブルサだけでなく、16世紀後半にはカイロでも織られていたそうです。

The early ottoman empire(16th-17th century) 1

この時代のイスタンブールの宮廷ワークショップにはタブリーズやカイロから職人が呼ばれ、その前の時代に18人だった宮廷絨毯職人は25人に増えていたという記録もあるようです。

スレイマン大帝はかの有名なミマルシナンを建築の指揮に採用して大きなモスク等も次々と建てたので、その建築物とインテリアにあう絨毯の生産の需要もかなりだったそうですよ。

スレイマン大帝の宮廷絨毯。

osmancourt

ところでこの柄、どこかで見覚えございませんか〜?

そうです。私の以前のブログでご紹介させて頂いていたシュメルのヘレケ絨毯スルタンアフメット柄です。

sultanahmet

この柄の名前の由来については、ヘレケ村の由緒ある方から伺っていて『スルタンアフメットの時代に色々な装飾に沢山使用された柄だからこの名前がついている。』というのは以前ご紹介させて頂きましたが、この柄が構成されたのはスレイマン大帝 (1520-1566年)の時代で、その後暫く後ののスルタンアフメット(1603-1617)の時代でも多様されたんですね。絨毯と歴史、面白いですね。

さて、オスマン帝国は20世紀まで続くのですが、この本での絨毯の歴史はこれで終わりになります。記録がないからなのか、変化が終わってしまったからなのかは謎ですが、また何かどこかで何か情報を入手出来たらお知らせします。

そういえば、このチャプターでエジプトでオスマン帝国の絨毯が織られていた事が出てきましたが、ちょっとコレクター達の間でエジプト絨毯の流行の兆しがありませんか???Jozanか何かで見た様な気がします。

こちらは今年3月に撮影した写真ですが、流石はイスタンブールの絨毯屋さん、もうその時にはしっかりとエジプト絨毯が織り上がっていました〜!!!とーーーっても綺麗ですよね。絨毯の流行を作っているのは今も昔もイスタンブールなんでしょうね〜。

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この絨毯、気になる方はこちらからご連絡頂ければと思います。

今日も最後までお読み頂きありがとうございます。

♪♪♪そしてちょっと宣伝♪♪♪

この3回にわたってご紹介させて頂いた、小さいけれど内容ぎっしりのOttoman Decorative Artsはオンラインショップにて取り扱っております。

 

また、同じく取扱中の大きな絨毯本Carpet Museum& Kilim and flatweaving rugs museum catalogue若しくはOne Thousand years of Turkish Carpetsをお求めの方には無料で同梱させて頂ければと思います♪

 

特にCarpet Museum …の方は、政府の在庫が100冊を切ると販売停止となり、増刷はされないそうですのでお早目にどうぞ。

 

 

 

 

オスマン帝国時代の絨毯2

トップ画像はMoche TABIBNIAの16-17世紀の絨毯コレクション。

イベントでPalazzo  Marino(これまた16世紀建築)に20枚ディスプレイされた時の物だそうです。

美しいですね。将来こういうイベントに参加出来たらいいですけど。

(スマホではトップ画像は表示されない様ですのでPCでどうぞ♪)

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昨日のチャプターの題名に誤りがありました。

訂正してお詫びします。

誤『オスマン宮廷スタイルの形成 1451-1512年』

正『初期のトレンド 1299-1451年』

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今日こそは『オスマン宮廷スタイルの形成 1451-1512年』チャプターにおける絨毯について。

 

この時代は偉大なスルタンメフメットII世の時代。1453年にビザンツ帝国からコンスタンチノープルを奪い、世界中にその勢力をみせつけました。この本は、この当時のことも要所を押さえて纏めてありますので、歴史好きな方にも魅力的です。

 

絨毯については、この時期に海外輸出も大量に行われており、海外の画家の絵でその絨毯を確認する事が出来ます。有名なのがHolbein絨毯、Lotto絨毯、 Bellini絨毯。

 

Hans Holbein(1497-1543)の絵に見られる主に八角形の連続モチーフがHolbein絨毯と呼ばれる絨毯。

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1533年『(2人の)大使』

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 こちらは作者不明

このHolbin絨毯ですが、1451年には既にイタリアの画家Piero della FrancescaがリミニにあるSan Francesco教会のフレスコ画に描いていたようです(わかりにくいですが、、、)。

ピクチャ 48

 

 

次にLotto絨毯。

イタリア(ヴェネチア共和国)の画家Lorenzo Lotto(1480-1557)の絵にみられる、主に黄色い連続パターンモチーフの絨毯。

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トルコでこの柄の絨毯を探される方は『Lotto絨毯』と言うよりも『ウシャク絨毯』と言われるか、直接お写真をお見せになった方が良いと思いますので、ご参考まで。

 

 

おつぎはBellimi絨毯

Gentile Bellini (1429 – 1507)とGiovanni Bellini (1430-1516)というイタリア(ヴェネチア)兄弟の絵に描かれている大きな鍵穴のようなデザインのプレイヤーラグがこう呼ばれている様です。

 

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こちらはGentileの作品。彼はヴェネチア共和国のドージェ肖像画描きだった様です。

 

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こちら↑の画像はまたMETから拝借。鍵穴、なるほど。

 

 

これら3種の絨毯は、ウシャク、ベルガマそしておそらくコンヤを産地として海外に多数輸出されていたそうですが、生産期間も長かったので、他の都市でも織られていた可能性も否定出来ない様です。

 

※この時期のCrivelli絨毯 とMemling絨毯についてはOttoman Decoretive Artsでは述べられていません。

 

 

それから、このチャプターの時期に出て来たのがウシャクのスターウシャクとメダリオンウシャク。

順にMETの画像よりどうぞ。

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これほど迫力のある絨毯のデザインというのは後にも先にもウシャクメダリオンだけでしょうね〜。

 

この時代、中央アジアから招聘された宮廷デザイナーBaba Nakkasがこの時代のオスマン帝国の美術品のデザインを作り上げていたそうですが、このウシャクメダリオンもそのひとつ、Ciltジルトという表装のデザインを元にしているそうです。

こちら↓がジルト。イスタンブールの職業訓練校ではCiltを習う事が出来ます。アンカラは残念ながら….。

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このウシャクスターとウシャクメダリオンは7mにもおよぶかなり大きなサイズで織られていたのですが、それは、スルタンメフメッII世がオスマン帝国の首都をブルサからイスタンブールに移すに伴っています。新しく首都と定めたイスタンブールにはトプカプ宮殿をはじめ様々な建物を建築させたメフメットII世ですが、その巨大な建物のフロアを埋めるには相当な数の絨毯が必要でした。それに伴い、宮廷内に絨毯工房も構えた様です。

 

 

ウシャク絨毯が初めて絵画に登場するのが1534年のParis GordoneによるLa consegna dell’anello al Doge。ドージェの足下にスターウシャクがみられます(この絵が描かれたのは1530年ですが、描かれているのはドージェ Bartolomeo Gradenigoで1430年の伝説が舞台です)。

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次回は16世紀中頃のオスマン帝国絨毯についてです。

 

最後までお読み頂き本当にありがとうございました。

私はまだまだ未熟ですので、内容について『おかしい』という点等ございましたら是非コメント欄より

ご指摘下さい。また、絨毯や地中海歴史等にご興味のある方とのコメントのやりとりなどももっと活発に

させて頂けたらと思っております♪ 宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

オスマン帝国時代の絨毯1

どうでも良い事ですが、、、薬局のレジ横にこんな魅力的なものをみつけて衝動買いしました。

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内容物はアルガンオイル、小麦オイル、アーモンドオイル、ヒマシオイル、アマニオイル、ファンネルオイル、ヘーゼルナッツオイル、アプリコットシードオイル、ホホバオイル、ラベンダーオイルにセサミシードオイル!IMG_8746 IMG_8748 IMG_8752

まつげの短い私、まずは一ヶ月試してみます!

最近絨毯ネタをずっと書いておらず失礼しました。今日から少しずつ、オスマン帝国時代の絨毯について、最近見つけてオンラインショップでも取り扱っているOttoman Decorative Artsに沿って、ご紹介させて頂ければと思います。

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こちらはポケットサイズの本ですが、オスマン帝国時代1299-1923年を8つの時代に分けて、その時代ごとの装飾、工芸について歴史と画像を混ぜながら詳しく述べています。絨毯についてもいくつかのチャプターに織り込まれていますので、今日から一章ずつ、時間をみてご紹介できたらと思っています。

■1299-1451年

『初期のトレンド』の章での絨毯について

この章での絨毯についての記述は短くて簡潔なのですが、大凡このような感じです。

『15世紀におけるオスマン帝国の絨毯の大産地はブルサとイズニックであった。当時の絨毯の特長はフィールドの中に2つのメインフレームがあり、ボーダーは連続する小さな幾何学模様であった。メインフレームには幾何学的な形をした鳥や龍、そして鹿等の動物、もしくは、大きな幾何学ダイヤモンドモチーフで埋め尽くされていた。この時代の絨毯のデザインは、他のオスマン帝国の装飾品とは似つかないものであり、アナトリアの遊牧民文化を引き継いだものであった。』

・・・・・私、お恥ずかしながらイズニックは陶芸が盛んで絨毯が盛んだとは知りませんでした。これからもっと調べないといけないですね。『そうだ、イズニック行こう!』ってすぐ行けないのが主婦の悲しみ。。。

この章には画像がないので、インターネット上にあるものをご紹介します。

絨毯にとってはとても古い時代ですからこの当時の絨毯を保管している所はとても少ない様ですが、ニューヨークのMETとイスタンブールの絨毯博物館に保管されている絨毯の画像をみつけましたのでご覧下さい。

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↑ 14世紀のオスマン帝国時代の動物柄絨毯、METから画像を引っ張ってきました。METのHPに掲載されている画像は、fullscreanをクリックするとあたかも美術館にいるかのようにノットまで詳細に見る事が出来ますのでお試し下さい☆

Animal Carpet 1400s Anatolia

こちらはイスタンブールにある絨毯博物館に保管されているそうで、先月イスタンブールに行った際に寄ろうとしたのですが、改修中でした。間近で見たらきっと綺麗でしょうね〜。

博物館の係の人に電話して再オープン予定はいつか聞いてみましたが、いつ改修が終わるかわからないということでした。ご存知の方も多いと思うのですが、同じく素晴しい絨毯の保管されているイスタンブールのイスラム美術博物館(イブラヒムパシャ宮殿)も現在改修中なのです。『どっちか一方は開けておいてよね〜。』と思いますよね!どちらにも一気に予算がついたとかそういう事なんでしょうね、きっと。

明日は、Holbein,、Lotto、Bellini、そしてウシャク絨毯の章をお届けします♪

アンカラの古いハマム、水道代未払いで運営停止

※後日追記 こちらのハマム、すでに運用開始されております。運営中です!

 

 

今日はアンカラのウルスにある古〜いハマム情報です。

まずは手元の本からいくつかオスマン帝国時代のハマムの様子をどうぞ。

 “Bain Turc”  Jean-Jacques-François LE BARBIER

ハレムのハマムではこんな高下駄が履かれていました。花魁みたいでしょう?

“Une dame en costume turc avec sa servante au hammam”      Jean Etienne LIOTARD

 

ハマムは日本で言うところの銭湯のような存在で、中世まではトルコ等中東は欧州よりもとても衛生的だったそうですね。今は、、、。

 

現在はシャワーが主流のトルコ人達ですが、時々はハマムに行って垢擦りをしたり、肌の手入れをしたり、あのお風呂上がりの気持ち良さを知っている人達です。また、女性達はハマムで脱毛等のお手入れもします。

 

アンカラでは殆どの大きなホテルや高級ホテル、そしてスポーツクラブにハマムが備わっていますが、今日は現在も使用されている古〜いハマム2つについて。

 

Karacabey Hamam  カラジャベイハマム

http://www.karacabeyhamami.com/

Celalettin Karacabey İbn-i Abdullahジェラレティン カラジャベイ イブニ アブドゥッラーにより1427年に建築が始まり、13年かけて仕上げられた600年近くの歴史を持つ古〜いハマムです(もちろん幾度か改装済み)。

 

現在の金額はこちらです(2013年1月現在)。

入場 : 男性15TL、女性20TL、    垢擦り : 5TL   泡マッサージ : 5TL

この泡マッサージというのは温かくて細かい泡をモコモコと体にかけてくれ、それでマッサージしてもらえる極楽マッサージです。

場所はハマムがそのまま地名に使われているHamamönüにあります。

 

 

おつぎはŞengül Hamamですが、、、、何とこちら先日28日に運営停止されてしまいました。

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http://www.sengulhamami.com/

15世紀に建てられたとても古いハマムですが、近年改装されたのでとても綺麗で私も何度か利用しました。

 

そんなŞengül Hamamı、何とずっと水道代を支払っておらず、なんとその未払額 564,280TL、ざっと3千万円です!!!未払い過ぎでびっくりです!!

 

アンカラの水道会社ASKIから支払催促は何度もなされたそうですが『オスマン帝国時代にこのハマムの水は市民のものであるという約束がある。』等と言い張って支払ってこなかったそうです。

 

当時はハマムが市民の体を洗う唯一の場所だったと思いますし、オスマン帝国政府が運営していてそうだったのだと思いますが、現在は運営は一般企業で利益はそこが持って行ってるんですよ。今まで丸儲けしていたんですね(笑)。

 

ASKIは2012年から今年にかけて5度、水道メーターを止めに行ったらしいのですが、毎度ハマムの職員に抵抗されて物理的に水道を止める事が出来なかったのだそうです。

 

で、今回はもうASKIは警察を従えてカメラマンも来て。。。こんな感じです。

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物理的にメーターを取り外し、配水が止められたので水が命のハマムは運営停止になりました。

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という事で、現在のアンカラの古い歴史的ハマムで現在利用出来るのはKaracabeyだけになりました〜。

 

※後日追記 こちらのハマム、すでに運用再開されております。運営中です!

 

 

 

イランのトルクメンについて・・・

 

素敵なイランのトルクメン絨毯が手に入ったので、イランに住むトルクメンについて少し調べてみました。

 

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現在のイラン国内でトルクメンが居住する地域はこちら↓イラン北部、トルクメニスタン国境地域です。

元々遊牧生活を送っていた人々ですが、最近は農業を営むところが増えている様です。

 

 

そういえばアフガン絨毯を取引させて頂いているトルクメンのおじさんも

『絨毯は織り上げるのにもの凄い時間と労力が要るから賃金と合わないんだよね。だから農業に移る人も増えてるんだよー。』とおっしゃっていたのを思い出しました。

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イランは98%がイスラム教の国ですが、イスラム教と言っても、イラン人(ペルシャ)達はシーア派、トルクメンたちはトルコ人達と同じくスンニー派です。

 

イランの国教はイスラム教シーア派、イランに住むトルクメン、クルド、アラブ、バルーチがスンニー派でイランでは少数派とされます。イランの法律でイスラム教他派の尊重は認められているものの、スンニー派の人々は政府高位にはつけないなど色々制限がある様です。

※イスラム教宗派の違いについては教えてgooにて→http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2650327.html

 

トルクメンたちは7〜8世紀頃に現在の地域に住み始めたとされています。その頃から19世紀ガージャールQuajar朝(トルクメン系のイスラム王朝)の終わりまで彼らの生活や文化等は他の部族同様自由だったわけですが、1925年、イランの初代皇帝レザーによりトルクメン迫害が始まったようです。

 

この時、多くのトルクメン達がソヴィエトに避難しましたが、宗教の違いや人種差別等を理由に1930年代にはまたイランに戻る事になります。しかし、イラン革命兵達の迫害(1983年、革命兵がトルクメンの女性が農場で働く事及びベールを被らずに外に出歩く事を妨害したのが火口)に遭い、多くのトルクメンがトルコへ避難したそうです。

 

上記はUNHCRの2003年のデータが元ですので、現状は改善していますが、19世紀から最近まで本当に大変な環境にいらしたという事がわかります。その間も彼らの絨毯産業を絶やさず続けられたのは本当に素晴しいと思います。トルクメン絨毯、さらに愛おしくなりました。

 

 

因にイランにある大まかな部族分布図はこちら。こういう図があると絨毯の織られた地域探しが楽しいですね。英語版wikipediaから画像をお借りして上書きしてみました。

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最後に、このブログにリンクさせて頂いている『砂漠人』では、この地にトルクメンの旦那様とお住まいのKumikoさんの素敵な大自然生活がご紹介されています。是非ご覧になって下さい☆

 

 

 

 

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約1900年前のトーラー写本密売未遂

歴史的にも地理的にも世界の重要な位置にあるトルコ、毎日のニュースや新聞ではやれローマ帝国遺跡、ビザンツ遺跡、彫刻、モザイクがみつかっただの、超アンティーク品が密売された等の面白い記事がたくさんあります。

 

昨年末、しかも聖なる12月25日、トルコのアダナ県において約1900年前にガゼルの皮に書かれたトーラー写本(旧約聖書の最初の5書)がみつかったという新聞記事がありました。

http://www.ntvmsnbc.com/id/25408892/

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『見つかった』というより、警察に押収されたのですが(実にトルコらしい)・・・。

 

 

幅44cm、長さ878cmにも及ぶヘブライ語で書かれたこのトーラー写本、内戦から避難してきたシリア難民によりトルコに持ち込まれたのではないかと言われており、地理教師を含む4名が密売に関わった様で一時逮捕、その後釈放されました。

 

 

こちらがそのニュース動画です。

 

 

この写本、エルドアン首相の指示で現在アンカラにあるそうですが、イスラエルのMOSSAD、イギリスのMI6、そしてトルコのMITが関係しているという一説もあり、約一年後の調査結果がかなり気になりますね。